2021年7月10日土曜日

循環論に陥ることのデメリット

 あの人は遅刻ばっかりする。遅刻する原因は、「だらしない」からだ。それじゃー、「だらしない」ってなぜ? 遅刻ばっかりするじゃない、だから「だらしない」んじゃない。「だらしない性格」が原因? そうかなあ? 

 そのことについて、榎本氏は次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第12回目である。

【引用はじめ】

 遅刻するのは「だらしない性格」だからだ。「だらしない性格」だから、遅刻するのだ。こういった「循環論」に陥ると、問題が多く発生します。

 問題の一つは、いつまでたっても現実的な解決にはつながらないこと。もう一つは、個人を責めて攻撃することです。

 内面的なことを原因にすると、問題行動を解決するアプローチは、内面を何とかしようとする方法になっていきます。

 「だらしない」ので、「だらしなくならない」ようにし、「危機感が足りない」ので「危機感をもつ」ようにし、「プロとしての意識が低い」ので、「意識を高める」ように、内面を変えるための研修を実施したりします。

 つまり、精神を鍛えるというような厳しい研修や、意識改革を起こすための研修などに、救いを求めていくわけです。

 榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版) p.23~p.24

【引用終わり】

 原因と結果が堂々巡りすることを、循環論という。

 個人の内面を問題にすることで、内面を変えようとする。そうなると、個人が変わらなければならないとなる。個人への問題を攻撃することになる。意識改革などといったあいまいな対応が主になってしまう。 

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