授業中、男の子が席を立って動き回っているシーンをどのように解釈するか。それぞれの見方で異なる解釈となる。個人の内面を問題にするか、あるいは個人の行動事実と環境について問題にするかで大きく解釈が違ってくる。
そのことについて、榎本氏は次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第22回目である。
【引用はじめ】
授業中に動き回っている男の子がいるシーンに対する見方を、「一般的な見方」と「ABA的な見方」の二つで比較すると次のようになる。
一般的な見方
- 男の子が授業中にふざけていて、まわりの子が困っている。(ふざけているかどうかはわからない)
- 集中して授業を聞けずに、ふざけてしまう男の子が原因(個人を問題の原因とする)
- 男の子に今後ふざけないように注意する。男の子には、心の問題があるかもしれないので、それを治療する。(個人そのものを変えようとする)
ABA(応用行動分析学)的な見方
- 男の子が声を出して走り回っている。まわりの子がそれを見ている。(事実のみを見る)
- 男の子をまわりの子が注目していることが原因(まわりの環境の変化を原因とする)
- 男の子が走っても、まわりが注目しない。授業を中断してしまっているかもしれないので、授業をそのまま続ける。(問題が起きないように環境を変える)
榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版刊) p.42
【引用終わり】
個人の内面に焦点をあて、それが問題行動の原因だとすれば、個人の内面を変えようとする。個人の心を何とかしようとするのだ。「動き回る心」を何とかしようとすることになる。「動き回る心」って、どんなものなんだろう。そんなものは本当に存在するんだろうか。不明確な「心」に振り回されているに過ぎない。
それよりも、問題となる行動の事実を環境を変えることによって、改善に努めたほうがいい。
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