2021年7月6日火曜日

行動事実を見ずに、その人の内面をいうことはできない

   私たちは、人の行動を見て、性格・特性・人間性などを表現することがほとんど。そうなると、その人の性格といった概念化したものを全人格と見がちである。

 そのことについて、榎本氏、次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第9回目である。

【引用はじめ】

 いままでまったく会ったことも話したこともない人が、目の前にいます。まだ表情もあまり動いていません。その人に対して、内面を指摘することはできるでしょうか。

 どんな性格の人なのか、きちんとしているのか、だらしないのか、優しいのか、怖いのか、細かいのか、ずぼらなのか・・・・等々。

 本来は、その人の行動事実を見て、その人の内面として言い換えているだけなのです。

  • いつも時間に遅れてくる        ⇒ だらしない人
  • 文章の書き間違いをいつも指摘する   ⇒ 細かい人
  • 困ったときに笑顔で声をかけてくれる  ⇒ 優しい人
  • いつも冗談ばかり言っている      ⇒ 面白い人
  • 誰よりも最後まで仕事を頑張っている人 ⇒ 熱心な人

 上記のとおり、人の内面的なものの表現は、表に現れる行動事実を見て、それをわかりやすく伝えるために概念化したものなのです。

 つまり、「行動事実」が先にあって、その結果、人の「内面」が決まってくるという、逆転の考え方こそが真実である、ということなのです。

 榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版) p.22

【引用終わり】

 私たちの多くは、個人の内面にある性格などが行動を決めると思ってしまう。実際は行動が先にあって、そうした傾向を総称したものを性格などと言っているに過ぎない。 

0 件のコメント:

コメントを投稿