授業中、男の子が席を立って動き回っているシーンをどのような観点から見るか。個人の内面が原因として、主観的に捉えるか、それとも個人の外面的な行動事実と周囲の状況が原因として捉えるかでは大きく違う。
そのことについて、榎本氏は次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第23回目である。
【引用はじめ】
授業中に席を立って動き回っている男の子がいるシーンに対して、「一般的な見方」と「ABA的な見方」の二つで比較すると次のようになる。
「一般的な見方」では、自分の主観を入れて考えます。
男の子は走り回っていますが、ふざけているかどうかはわかりません。彼のなかでは、ふざけているのではなく、恐怖のため必死でやっている可能性もあります(そんなときに笑うこともよくあります)。
一方、「ABA的な見方」では、心のなかを推測しません。
客観的事実として、声を出して走っている、そしてそれをまわりが見ている、という見方をします。
そして、重要なのが、原因をどこに見るか、という点です。
「一般的な見方」では、「ふざけている男の子が悪い」というように、原因を個人へと目を向けます。
一方、「ABA的な見方」では、個人が悪いのではなく、その個人の行動を引き起こしている環境に原因がある、と考えます。
榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版刊) p.42~p.43d(
【引用終わり】
授業中、男の子が動き回るのは「落ち着きがない」ことが原因だとしても、何の説明にもなっていない。ただ単に、「動き回る」ことを「落ち着きがない」という言葉で言い換えているに過ぎない。これでは、原因を明らかにしていることにはならない。
男の子には、「落ち着きがない心」があるから、「落ち着いて」と注意するだけだ。それが「動き回る」ことをやめさせることができるとは思えない。それよりも、動き回っているとき、周囲の状況を変えてみるほうが効果的である。主観的な「心」でなく、客観的な「環境」に焦点を当てるほうが効果がある。
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