2021年7月13日火曜日

循環論は個人攻撃の問題を引き起こす

 あの人は「だらしない性格」だから遅刻ばかりするんだ。そうやって決めつけられる。個人の内面が悪いと原因にされる。そうなると、その人「個人が悪い」と個人が焦点化されて、個人が問題にされる。 

 そのことについて、榎本氏は次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第15回目である。

【引用はじめ】

 循環論に陥ることの大きな問題点は、特定の個人の人間性を攻撃することになる、という点です。

 望ましい行動をしない、もしくは不適切な行動をするのは、その人個人が悪いから、という考え方になるのです。

 原因をもっているその人が、なにやら犯人のようになり、まわりから攻撃される対象となってしまいます。

 こうなると、さまざまな弊害が出てきます。

 たとえば、個人攻撃された社員は、上司や会社が嫌いになり、自分を責めるようになり、ますますパフォーマンスを発揮できない社員になってしまいます。

 職場のコミュニケーションも悪くなり、より仕事から自分を避けるようになってしまいます。

 榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版) p.25~p.26

【引用終わり】

 あの人が遅刻ばっかりして、報告するのも遅いのは、「だらしない性格」のせいにされる。

 性格がなおらないとだめだとなる。性格を直せと強制されたり、自らも性格をなんとかしようとする。

 しかし、性格を直すというのはどうすればよいか分からない。こんなことを繰り返しているうちに、仕事に対する意欲が低下し、自らをダメな奴と悲観的になってしまう。個人の内面が攻撃の対象になってしまうと、ドツボにはまってしまう。解決が遠のいてしまうのだ。 

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