あの人は「だらしない性格」だから遅刻ばかりするんだ。そうやって決めつけられる。個人の内面が悪いと原因にされる。そうなると、その人「個人が悪い」と個人が焦点化されて、個人が問題にされる。
そのことについて、榎本氏は次のように述べる。榎本氏の著書からの引用は第15回目である。
【引用はじめ】
循環論に陥ることの大きな問題点は、特定の個人の人間性を攻撃することになる、という点です。
望ましい行動をしない、もしくは不適切な行動をするのは、その人個人が悪いから、という考え方になるのです。
原因をもっているその人が、なにやら犯人のようになり、まわりから攻撃される対象となってしまいます。
こうなると、さまざまな弊害が出てきます。
たとえば、個人攻撃された社員は、上司や会社が嫌いになり、自分を責めるようになり、ますますパフォーマンスを発揮できない社員になってしまいます。
職場のコミュニケーションも悪くなり、より仕事から自分を避けるようになってしまいます。
榎本あつし著「自律型社員を育てる〖ABAマネジメント〗」2017年(アニモ出版刊) p.25~p.26
【引用終わり】
あの人が遅刻ばっかりして、報告するのも遅いのは、「だらしない性格」のせいにされる。
性格がなおらないとだめだとなる。性格を直せと強制されたり、自らも性格をなんとかしようとする。
しかし、性格を直すというのはどうすればよいか分からない。こんなことを繰り返しているうちに、仕事に対する意欲が低下し、自らをダメな奴と悲観的になってしまう。個人の内面が攻撃の対象になってしまうと、ドツボにはまってしまう。解決が遠のいてしまうのだ。
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