「優しく接する」ことって、わかったようで、分からない。他の人も自分とは異なる行動をやっている。これでは、この表現そのものが不適切だ。別な表現に書き換える必要がある。その内容について、島宗リーダー本による第69回目の引用である。
【引用はじめ】
行動として十分に具体的に書けたかどうか、自分では判断できないときには、書き出した行動を誰か他の人にやってもらってみて下さい。
「優しく接する」と言われても、どうしていいのかわからないと言われれば、まだ抽象的すぎるということです。他の人がやってみることができたとしても、それがあなたが思い描いた「優しく接する」と異なっていれば、主観的だったということになります。
このようにしてお互いが同意するまで、内容を変えながら繰り返すことで、具体的な記述ができるようになります。
(島宗理著 「部下を育てる!強いチームをつくる! リーダーのための行動分析学入門」2015年 日本実業出版社刊、p.44 )
【引用おわり】
「優しく接する」という表現では、抽象的で主観的だ。誰もが納得する表現でなければならない。他の人からも、この表現で行動として成り立つかを確かめるといい。「○○さんと声をかける」というのは、どうかなどと聞いてみて、相手が同意できれば、標的行動になりうる。
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